府中の個別指導

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モテるため、生きていた(英語編)

私が中学生になった頃、周りの思春期真っ盛り坊主たちは、それはもう色めきだっていた。

私の中学校といえば、県外からも通う人間がいたような私立であり、地元のやんちゃ娘たちでは食指も動かないような、妙に舌の肥えたソムリエ少年たちで溢れかえっていたのだ。
話題といえば、やれ何組の女はレベルが低いだの、やれ先輩の色気は凄いだの、学生の本分を捨てたようなものが大半であった。
「なんておつむのレベルが低いやつなんだ。こういうやつが日本を、延いては世界をダメにするんだ。」そう思えれば幾分か幸せだったのだろうが、何を隠そう私もその舌の肥えた小砂利たちと同じであったため、色めく女子たちからモテるためには、と毎日の80パーセント以上をモテるための研究に費やしていた。

いつの時代においても、モテる人間の特徴は変わらないものだ。結局は少し顔がよくてスポーツが出来ればあっという間に番を作り、非リア(当時はそのような言葉がなかったが)の巣から飛び立っていってしまうのだ。早々に巣に帰還するやつもいれば、一向に戻る気配がないやつもいた。ただ当時の私からしてみれば、一度でも巣から出ていったやつは総じて「裏切り者」であるため、どのようにしてこのいけ好かない野郎の風説を流布してやろうかと考えたこともあった。
残念なことに、私にはスポーツでパートナーを獲得出来る程能力がなかった。一応野球部に所属していたものの、していたことは三塁コーチャーとして主役たちの走塁を助け、モテ男をさらにモテ男にする引き立て役であった。そんな私がモテるにはどうすればいいのか、と考えに考え抜いた。芸術系(音楽や美術など)は以ての外であった私には、五教科で勝負するしかない。こうして辿り着いたのが、私の仕事にも関わってくる「英語」である。

ところで読者の方々は、ブラット・ピットやジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオといったハリウッドスターをご存知だろうか。彼らには勿論「俳優」という共通点はあるが、私の中では絶対的に無視出来ない二つの共通点があった。その二つが「かっこいいこと」そして「英語を喋れること」である。当時の私からしてみれば、ノーベルもまさに青天の霹靂というような大発見であった。こうして、複雑という言葉を知らない当時の私の脳みそは、英語が喋れればかっこいい、というおめでたい思考で結論に至った。
今でこそ驚く読者がいるかもしれないが、私が小学生だった頃は英語の授業が必修ではなく、中学で初めまして、という子が数多く存在していたのだ。そこに目を付けた私は大の勉強嫌いであったにも拘らず、女の子にモテたい一心で机に向かった。単語を書き殴り、教科書本文を呪文のように唱えた。ここまで私を動かした原動力は、女の子にモテたいからというのは勿論のこと、それに付随したとある青写真にあった。
グローバル化が進んでいる昨今、街を歩けば外国人に話しかけられる、なんてことも珍しくなくなった。私が中学生だった頃も、観光かはたまたビジネスか、彼らが街中を闊歩する姿をよく目にした。そこに目を付けた私は、すぐさま英会話本作りに取り掛かった。そんなことしなくても、と思う読者がいることだろう。なんせこの時代、英会話の本はごまんとあるのだから、と。だが、私のニーズはこの世のどんな本も満たさなかった、否、満たせなかったのだ。何故なら私が欲していたものは、「好きな女の子が突然外国人に話しかけられたら」というニッチ過ぎるハウツー本であったからである。

ある日、私が好きな女の子が見知らぬ外国人に話しかけられる。英語に明るくない彼女は、銀行口座を突然止められたかのように慌てふためく。そこで白馬の王子様よろしく、私が颯爽と現れこう言うのだ。”Excuse me, sir? “と。「あいつ、英語喋れるのかよ⁉」突然のスキル披露で野次馬化するモブ、もとい私のクラスメートたち。私への賛辞がシュプレヒコールの波となって、意中の子の心を揺らす。そう、私が望んだ青写真は、「好きな子が突然外国人に話しかけられて、それを助ける」というものであったのだ。だが、そんな青写真はある日突然塵と化してしまう。中学三年生となり「複雑」という言葉を覚え始めた私の思考は、今まで一度も使用したことのないシナプスを通過し、ある疑念に辿り着いた。

「この町、外国人いなくね?」

そう、私は気付いてしまったのだ。私の通う学校は、県外から通うことはあっても、国外から通うことはないということ。そして、観光でもビジネスでも、この町に外国人がやってくる要素が驚くほど少ないことに。中学一年生から一人であくせく一から積み上げてきたピラミッドは、中学三年生で気付いた真実によって、青写真を信じて疑わなかったあの頃の私を埋葬する、文字通り墓となった。

今回これを執筆するにあたり、この忌々しい墓を掘り起こしてみようと思ったのには訳がある。あの頃は思ってもみなかったが、結果としてプラスとなって帰ってきたものもあるからだ。

先述した通り、私は勉強というものが他の追随を許さないほどに嫌いだった。その中でも英語だけは(動機は不純とはいえ)勉強していたためか、夢破り去った後も机に向かうルーティンが崩れなかった。巡り巡ってそれが現在の仕事に繋がるわけだから、人生とは分からないものであると痛感する。
現時点で様々な悩みや不安を抱えている読者の方にも、少しでも「あ、こんな人間いるんだ。なら大丈夫だ。」とでも笑い飛ばしてもらえれば、私の拙文も幾分か報われることだろう。

「黒歴史」としていたものが、最終的に自らを助く。そんな可能性は意外と近くに転がっているのかもしれない。