モテるため、生きていた(数学編)

読者の方々は「井の中の蛙大海を知らず」ということわざをご存知だろうか。端的に説明すると「自分が今見えている世界が全てだと思い込んでいる状態」のことを指す言葉である。察するに、外の世界を知らない者が「自分は他を圧倒する存在だ。」と声高に叫んだところで、第三者から「世間知らず」のレッテルを貼られるのが関の山である、というわけだ。そう、今回の主役はこの外の世界を見ず、温室で育った蛙-高校生の私である。
高校生活にも順応し始めてきた頃、学び舎の仲間達はある話題で持ちきりとなっていた。
「なぁ、文理選択どうする?」
これは高校生になって最初に現れる非常に大きな選択肢である。このルート分岐によって俗に言う文系と理系に分けられるため、我々にとっては極端な話、人生の方針が決まると言っても過言ではないイベントである。
前回詳述した通り、私はこの頃まで英語しかまともに勉強してこなかったため、文系と理系どちらが私に適しているのかさえ把握しきれないでいた。そんな悩みの渦中にいた私を救った考え方がある。それは「学びたいもので選ぶ」ではなく「学びたくないもので選ぶ」というものである。他の教科についてモチベーションがない私は、「逃げるは恥だが役に立つ」物の代表例である消去法というありがたい考え方によって、文系の道に足を踏み入れることになる。
先述した通り、私は国語や社会といった科目の真髄に至るために文系を選択したわけではない。実は私は小学生の頃から算数を始めとした計算分野が大の苦手であったため、それから逃れるため辿り着いた選択なのである。斯くして文系へと歩みを進めた私であったが、このタイミングで数学とは完全におさらば-といかなかった。そうは問屋が卸さなかったのだ。
高校2年生となり、てっきり数学とは決別出来ると確信をしていた私のもとに数学Ⅱという科目が姿を現した。数学Ⅰで冷や汗を大量にかいていた私には、純粋な進化系を受け入れられるほどの器量を持ちあわせてはいなかった。それでも先頭集団に遅れずについていく先行馬のように、どうにか追走しながら高校生活を送っていくことになる。
時は経て高校2年生の冬。私の視界に受験という文字がちらつき始めてきた頃、当時通っていた塾で有益な情報を耳にした。それは「日本史、世界史受験に比べると、文系数学を受験する人間は物凄く少ない。」という情報であった。この時の私の思考が「文系を選ぶ人間は須らく数学が苦手である」で句点を打てばよかったのだが、そこから「ため、それが出来る人間は非の打ち所のない完璧人間である。要するにモテる。」まで達してしまった。この瞬間、英語以外に初めて没入する科目が誕生した。
そこからの私は覚醒の一途を辿ることになる。学校の定期試験では先頭集団を一気に抜き去り単独1位へと上り詰めた。それだけに留まらず、授業に付いていけないクラスメイト達相手に補習を行うようになった。この補習により私の数学はより定着し、受験科目として躍進を遂げる未来がより確実なものとなっていった。
しかし私の中でも、学校や塾の先生達の中でも1つの懸念点があった。それは学校の試験の成績と模試の成績が反比例していたことである。そう、ビビるほど模試の成績が悪かったのである。からくりは非常に簡単であった。学校の試験は予め出題されるところを中心に解き方を覚えてしまえばよかったのに対し、模試は(当たり前だが)どの問題が出されるか分からない。出題パターンと問題の解き方を暗記に頼っている私にとって、広い視野で見渡さなくてはならない模試の数学は天敵であったのだ。
そのような状況下でも、この勘違い男はへこたれていなかった。「広い視野や柔軟性を持って問題を解けないのなら、出題パターンを全て覚えて型に当てはめればいいじゃない。」とマリーアントワネットも正気かどうか疑うような思考を持ち始めたのである。もちろんこのような学習法は数学本来の勉学の意図を逸脱したものであるが、そんなことは意にも介さず自分なりの学習方法でひた走ることとなる。つまり「勝てば官軍」ということである。
受験期となると、相対的に向上していく英語や国語とは対照的に、数学は底知れぬ凋落ぶりを発揮した。どう頑張っても驚くほどに成績が伸びないのである。12月になっても希望の大学の偏差値に全く届かない現状であったため、数学を今から切って歴史に切り替えるという蜘蛛の糸も垂れ下がり始めた。しかし初志貫徹を掲げたこの男は、一縷の望みに賭け、数学で受験することを改めて決意し、「皆々様、私は数学でも天下を取ってみせますよ。」と言い放ち、その糸を断ち切った。それとて不安はつきものである。私の親はもちろん、学校、塾の先生まで惨憺たる数学の現状を知っていたため、安全校(所謂滑り止め)対策として英語と国語の2教科受験を勧めた。私としても「自ら言い出すまい」とつまらないプライドが邪魔していたため、この提案はまさに渡りに船であった。「そこまでいうのであれば致し方あるまい。」とオスカー像を狙えるほどに洗練された悔しがり方を皆の前で披露し先述の提案を飲んだ勘違いボーイだったが、結果それが功を奏することとなる。
私が受験して合格した大学は2校。その2つとも2科目受験であった。そして、数学受験をしたところは全て落ちた。もう1度言おう、数学受験したところは全て落ちたのである。
当時の私は驚きを隠せなかったが、私以外の誰もが、まるでその結果を予期していたかのような顔をしていた。私がしてきたことは、運動神経のない人間が大した努力もせず、モテたいがために「プロ野球選手になる。」と豪語していたことと同じであるため、名探偵でなくともこの結果は想像に難くないだろう。斯くして、私の大学受験は、自信過剰と勘違いというエキスを足した劇薬となって、井の中の蛙を死に至らしめたのである。
私がこういった職業についた最たる理由は、私のような悲しいモンスターを生み出さないためである。生徒1人1人が個性を理解、発揮し、自分のベストの状態で試験に臨む-そんな当たり前のことを、見栄や意地、プライドなんぞで棒に振ってほしくないのである。
幸い私のような思考を持っている子に未だ出逢ったことはないが、今後もし現れたら、その子には私のようにならぬよう、自分への戒めも兼ねて、適切な道へと導いてゆきたい。